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四十住さくら読み方は?実家に何が?

四十住さくらさんの金メダルが期待されています。

グレースノートというアメリカのスポーツデータの分析、提供を行う専門会社が、分析の結果スケートボードでは、女子パークの四十住さくらさんが金メダルを取ると予想しています。

予想的中の確率はどうなのかというと、フィフティフィフティというところでしょうか。

スケートボードのストリートで男子は、堀米雄斗さん、女子は西村碧莉さんという予想でした。見事、堀米雄斗さんは金メダルを獲得しています。

結果が楽しみですね。

スケートボードには、岡本碧優さんもいますし注目です!

岡本碧優さんは愛知県高浜市の出身!練習場はどこ?

四十住さくら読み方は?

出典:THEANSWER

四十住さくらさんは、代表が決まった時の会見で

「観客がいないのは凄く寂しいのですが、テレビで見てもスケートボードの楽しさがわかるような滑りをしたいと思います」と答えていました。不安や緊張は全くないそうです。

おそるべし19歳ですね。

四十住さくらさんは、2002年3月15日和歌山県で生まれました。

159cm、52キロの中肉中背という感じです。

さて、気になる読み方は、よそずみです。

四十住さんというのは、とても変わった名前ですよね。

よそずみ」の他に「あいずみ」と読む場合もあります。

「富山」「石川」「北海道」に多い苗字ということです。

ご両親がこの地方出身なのかもしれません。

四十住さくらの実家に何が?

四十住さくらさんの実家について書く前に、ご家族についてまとめてみたいと思います。

家族は?

父「和次」

父の和次さんは、四十住さくらさんがスケートをすることを反対していました。

そこで、ハードな練習メニューを提案。

このメニューをこなせなければ、ボードをやめる。そんな約束をさせました。

当時を振り返って、四十住さくらさんは意地悪だと言っていました。

でも、結果的にはその練習メニューはかなりきつくて、絶対音を上げると思っていたら逆にやる気に火が付き、日本一を目指すと心に決めました。

四十住さくらさんは、スケートをすることが楽しく、つらいと思ったことはないのだそうです。

母「清美」

清美さんは、2021年54歳と思われます。

四十住さくらさんはお母さんと二人三脚で、代表の座をつかみました。

県立伊都中央高校に通っている時は、学校が終わるとお母さんの手作り弁当を食べ、練習の施設まで車でおくってもらうという生活でした。

帰宅は深夜1時過ぎ。

本人の努力はもちろんですが、母の愛に勝るものはないですね。

 

 

兄「麗以八」

四十住さくらさんが、スケートを始めたのはお兄さんの影響でした。

麗以八さんは、現在32歳と思われます。

四十住さくらさんが初めて自分のスケートボードを手にしたのは、12歳の誕生日だったと言います。

最初は、麗以八さんのボードを借りていたのでしょうね。

四十住さくらさんは、お兄さんが大好きでお兄さんに褒められるのがうれしくて、スケートを続けてきたと語っていました。

実家に何が?

出典:NHK

四十住さくらさんの実家は、和歌山・岩出市の緑に囲まれた場所にあります。

なんとそこには、総額約180万円をかけて建設した特設コースがあります。

180万円かけられることも凄いけれど、土地があるのも凄いです。

家計にゆとりがあるからできるのだろうと思ってしまいますが、実際は火の車だったようです。

遠征費はかさみ、ガソリン代と高速代は月に17万円になることも、それだけではなく海外の遠征費も自腹だったので、父の和次さんは借金も考えたと言います。

お兄さんの麗以八さんは「夢か破産かかけてもいいか?」と聞かれたこともあるそうです。

そして、麗以八さんの答えがまたすごい!「いいんちゃうか?」

そんな時、家計は限界になったのですが2017年11月の大会で3位に入り賞金38万円を手にしました。

その後、地元の輸入時計店の方が「五輪を目指す子供に協力したい」と海外の渡航費などをサポートしてくれることになりました。

現在では、レッドブルとポロラルフローレンとスポンサー契約をしています。

出典:PRESSPORTS

 

出典:ポロラルフローレン

四十住さくらさんの年収が気になりますね。

あくまでも噂ですが、300万~数千万円。

開きがありすぎますが、世界ランク2位であること2社とスポンサー契約していることを考えると数千万円に近いような気がします。

四十住さくら読み方は?実家はどこか調査!まとめ

四十住さくらさん五輪代表は、家族一丸となって手にしたものでした。

実家には特設コースがあります。木製のこのコースは、四十住さくらさん自身で釘を取り換えるメンテナンスもしています。

世界を相手にするようになってからは、ほとんどこのコースで練習することはなくなったといいますが、大切な場所であり原点です。

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