橋本環奈さんとの熱愛もどき報道のあと、すっかり宇野康秀さんのファンになってしまいました。
経歴など調べてみるととても興味深いのです。
仕事面だけでなくプライベートでも興味深い話題豊富な宇野康秀さんについてまとめてみました。
宇野康秀社長の経歴をまとめてみました!
出典:出世ナビ
宇野康秀さんは、1963年8月12日大阪府で生まれました。
2021年58歳です。
宇野康秀さんは、小学生の時に鉄道会社を作りたいという夢がありました。
清風中学校に通っていたころ「ユダヤの商法」などお父さんの本棚の本を読みまくっていたそうです。フォークギターも練習するようなところもあってバランスの取れた子供時代だったのではないでしょうか。
清風高等学校は、受験校で周りが勉強ばかりする中、宇野康秀さんは、授業中寝てばかりいたそうです。それでも明治学院大学法学部法律学科に進学できたのですから、勉強はできたのですよね。
明治学院大学卒業後、子供の頃から会社経営をしたいという夢があった宇野康秀さんは、
会社組織を勉強する目的で、1988年4月、リクルートコスモスに入社しました。
1989年6月(26歳)にリクルート出身の鎌田和彦さん、島田亨さんと独立し人材派遣業・インテリジェンスを設立しました。
その代表取締役社長となり、順調に会社規模を伸ばしています。
その後、父親の会社を継ぐことになるのですが・・・
宇野康秀はUSEN社長
出典:日経
宇野康秀さんは、お父さんの大阪有線放送社(現USEN)を継ぐつもりはありませんでした。
病床のお父さんに会社を頼むといわれ、それでもなお、断るつもりだったそうです。
宇野康秀さんの気持ちを変えさせたのは、お母さんでした。
「こんな悲しい時に、息子にも見捨てられるのか」って母に泣きつかれたりして。ほかにやれそうな人間もいなかったですし。にしても、「なんでオレに言ってくるんだよ」とは思いましたけれど。
出典:出世ナビ
その時の気持ちを↑のように語っています。
当時お父さんとは絶縁状態だったそうです。
確かにその状態で、なぜ自分に?と戸惑う気持ちはわかります。
宇野康秀さんは、4人兄弟
会社を継ぐ話の時にはまだお兄さんもいらっしゃったようですが、お父さんは宇野康秀さんなら会社をなんとか立て直せるとよんだのでしょう。
USENはお父さんの時代、有線放送を手掛けており電柱の無断使用で問題になっていました。
宇野康秀さんが会社を引き継いだ時800億の負債も一緒でした。
この決断ができる宇野康秀さん偉大です。
宇野康秀さんが社長に就任してから、非合法状態のままでは電気通信事業者としての認可を得られないなどの問題から、本格的に事態の収拾が図られ、2000年(平成12年)4月には電力会社・NTT等と過去の問題を解決し正式に社長就任となりました。
宇野康秀さんが社長になってから、無断使用の電柱を数えるところから始めたそうです。
その数なんと720万本。
過去にさかのぼった電力会社への未払い金は約350億円
それとは、別に個人の連帯保証金800億円があったというのです。
宇野康秀さんはこの時期、死に物狂いで働いたということです。
2000年春に会社を正常化し、社名を有線ブロードネットワークスに変えました。
「USEN」へと変更したのは、2005年3月。
無料のブロードバンド放送サービス「Gyao」をスタートしたのも、同じ05年4月のことでした。
「USEN」は、リーマンショックのあおりを受けたのでしょうか1100億円の損失を計上してしまいます。
そして、2010年USENの赤字部門を引き受ける形でU-NEXTを立ち上げることになります。
宇野康秀はU-NEXT社長
出典:Instagram
宇野康秀さんはU-NEXT立ち上げの時
「最初から300人も社員を引き連れて、ベンチャー経営なんてできるわけがないだろう」と大反対にあいました。
社員と一緒じゃなきゃ意味がないって。
宇野康秀さんは、そう考えたそうです。
宇野康秀さんの頭の中には、小学生の頃に読んだ本の中の経営者の姿があるようです。
昭和の名経営者に比べたら、今のIT(情報技術)ベンチャーの連中なんて、まだまだ小粒だってことでしょう。全然、追いついていないと思いますよ。
出典:出世ナビ
宇野康秀はUSENとU-NEXT社長!経歴をまとめてみました!まとめ
宇野康秀さんは、子供の頃から会社経営をすると夢見ていて、それを実現させてしまったところがさすがです。
多額の負債を抱えた父親の会社を継いだ宇野康秀さんの懐の大きさに感動しました。
そして、電柱の無断使用という大きな課題も解決してしまうところに誠実な人柄を感じます。
U-NEXTがこれからどんなサービスを提供してくれるのか注目ですね。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。
宇野康秀さんのご家族についてはこちらです。