人物コレクション

浪花千栄子はオロナインCM女優!せりふ回しが絶妙!

連続テレビ小説「おちょやん」が浪花千栄子さんをテーマにしているということはわかったのですが、浪花千栄子さんって誰?

どんな人?

と疑問に感じる方も多いのではないでしょうか?

私もその一人。

そこで、浪花千栄子さんについて調べてみました。

浪花千栄子はオロナインCM女優!

浪花千栄子さんについて調べてみると、出演作も多いので代表作は何だろうとかいろいろリサーチしてみたのです。

その中で一番私たちの目に触れているのは、

オロナイン

の看板でした。

 

この投稿をInstagramで見る

 

物部 直樹(@betch73)がシェアした投稿

昭和の時代を知らない方でも一度くらいは見たことがあるのではないでしょうか?

優しいけれどどこか芯の強さを感じさせる笑顔ですよね。

浪花千栄子さんの本名は、南口 キクノ(なんこう きくの)

オロナイン軟膏のCMに抜擢された理由は、本名がよかったからだということです。

「なんこうきくの?」とうそみたいなホントの話

「南口キクノ篇」というCMまであったそうです。

浪花千栄子さんは、1907年(明治40年)11月19日生まれです。

亡くなったのは、1973年(昭和48年)12月22日

66歳で消化管出血のためだといわれています。

 学校に通えなかった?

浪花千栄子さんの実家は、養鶏業を営んでいました。

父親が酒浸りであまり働かない人だったため、幼い千栄子さんは養鶏場と弟の世話を頑張っていましたが、8歳の時に道頓堀の仕出し弁当屋に女中奉公に出されてしまいます。

ここでの苦労が大変なものだったようです。

こんな理由から、浪花千恵子さんは満足に学校にも通えなかったと思われます。

香住 千栄子として女優の道へ

その後、京都で女給として働いていた浪花千栄子さんでしたが、18歳のとき、知人の紹介で村田栄子一座に入りました。

間もなく舞台にも立つようになりますが、人気はありませんでした。

そして、東亜キネマ等持院撮影所に移ることになります。

香住 千栄子の芸名で端役出演を続け、1926年(大正15年)に山上伊太郎の初シナリオによる大作『帰って来た英雄』の準主役に大抜擢され、それ以来順調に役をこなしていくことになります。

その後、市川右太衛門、市川百々之助に招かれて帝国キネマにはいり、芸名を浪花 千栄子に変えて、映画出演を続けたが、給与未払いなどもあり映画界から足を洗いました。

結婚

1929年(昭和4年)、松竹傘下の「新潮劇」に入ります。

1930年(昭和5年)に、2代目渋谷天外さんと結婚

1948年夫である天外さんと看板女優の不倫が発覚し、離婚

浪花千栄子さんは、1951年(昭和26年)、松竹新喜劇を退団しました。

復帰

芸能界から引退していた浪花千栄子さんに再びライトを浴びせたのは、NHK大阪放送局のプロデューサー・富久進次郎氏でした。

NHKラジオの『アチャコ青春手帖』に花菱アチャコの母親役として出演しブレイク。

『アチャコほろにが物語 波を枕に』『お父さんはお人好し』などで人気を不動のものにしました。

テレビドラマ出演

浪花千栄子さんは、1962年からテレビドラマにも出演しています。

やはり、名女優

ファンの方の心にしっかりと残っているようですね。

浪花千栄子さんは亡くなって後

勲四等瑞宝章を受章しています。

長年にわたり女優として歩んできたことが認められたということになります。

浪花千栄子のせりふ回しが絶妙!

浪花千栄子さんは、1952年映画「滝の白糸」が復帰作となります。


浪花千栄子さんについて調べてみると、見た目の品の良さもありますが、セリフの言い方がとてもいいらしいのです。

本当の大阪弁を話せる女優さんです。


下の女優さんは若尾文子さん

若尾文子さんに大阪弁を指導したのは、浪花千栄子さんだといわれています。

浪花千栄子はオロナインCM女優!せりふ回しが絶妙!まとめ

浪花千栄子さんの幼い頃の苦労、女優としての切磋琢磨の日々、何よりも結婚した相手の裏切りが一番答えたのではないでしょうか。

消息不明となったというのがそれを物語っています。

そんな人生を現すぴったりの言葉が「泣き笑い」だったのだと思います。

浪花千栄子さんは何度も倒れ立ち直り、繰り返してこられたのでしょうね。

「おちょやん」がとても楽しみです。

最後までお読みいただき

ありがとうございました。

幼い頃の浪花千栄子さんを演じる子役って?

毎田暖乃【まいだのの】の事務所はどこ?演技はどうか調べてみた!「おちょやん」で主役の竹井千代演じるのは、杉咲花さん。 その子役時代で出演する毎田暖乃さんに注目が集まっています。 毎田暖乃...