芸能

五代友厚はどんな人?三浦春馬が「そのものだった」と話題!

「天外者(てんがらもん)」が12月11日に公開されることがわかりました。

監督は、田中光敏さん。

主役は、2020年7月に亡くなった三浦春馬さんということでそのことでも話題を呼びそうです。

三浦春馬さんが演じた五代友厚さんは、どんな人なのか、何をした人なのか、気になって調べてみました。

五代友厚はどんな人?

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出典:Wikipedia

五代 友厚(ごだい ともあつ)さんは、武士であり実業家。

画像を見ると、武士というより思いっきり実業家よりですね。

仕立てのいいスーツが似合いそうな雰囲気です。

五代 友厚さんの生きた時代は、江戸時代末期から明治時代中期にかけて。

五代 友厚さんは、薩摩国鹿児島城下長田町城ヶ谷(現鹿児島市長田町)に生まれました。

幼少期は?

父は、五代直左衛門秀尭さん

『三国名勝図会』の執筆者でした。

 

出典:天外者公式

映画では、生瀬勝久さんが演じます。

 

父である五代直左衛門秀尭さんは、質実剛健を尊ぶ方でした。

上級武士であった父直左衛門秀尭さんは、上屋敷に住むこともできたはずなのですが、あえて下級武士の住む長屋に住んでいました。

この生活が、五代友厚さんの「町人の生活」を理解するのに役立ったといわれています。

幼少から五代友厚さんはとても賢く、今でいうケースワークでは周りを驚かせていたそうです。

「親の敵に命を救われたらどうするか?」の問いに対して

「礼をしっかりと言ったのち、敵を討つ」と答えたいう逸話が残っています。

五代 友厚さんは8歳になると児童院の学塾に通い、12歳で聖堂に進学して文武両道を学びます。

かなり厳しく育てられたことがうかがえます。

五代 友厚さんが14歳のとき、琉球交易係を兼ねていた父親がポルトガル人から入手した世界地図の複写を命じられます。

地図を2枚複写しそのうちの1枚を自分の部屋に貼ったということです。

武士・役人として

五代 友厚さんのお兄さんは、鎖国論者でしたが、自身は開国論者。

ペリー来航の時には、

「男児志を立てるは、まさにこのときにあり」

と奮いたったといわれています。

また、長崎海軍伝習所へ藩伝習生として派遣され、オランダ士官から航海術を学びました。

とにかく外国を見てみたかった五代 友厚さんは、水夫として幕府艦千歳丸に乗船し上海に渡航しました。

この時、高杉晋作さんと出会います。これが1862年。

翌年、藩のために汽船購入の契約をすることになります。

薩英戦争では、船長だった五代 友厚さんが捕虜になるという経験もしています。

しかし、この経験を活かし

「薩摩潘は他藩に先駆けて、一刻も早い開国と自立した富国強兵を進めるべきだ」

と藩主に上申書を出します。

これが認められ、五代友厚さんはイギリスへと行くことになりました。

実業家へ

イギリス行きは、1865年。

藩命により薩摩藩遣英使節団としての渡航でした。

さらにヨーロッパにも足を延ばし、

ベルギーのブリュッセルでモンブランと貿易商社設立契約に調印しました。

これは薩摩藩財政に大きく寄与するものとみなされたが、諸要因により失敗に終わってしまいます。

しかし、この時の経験がのちの経営手腕に大きな影響を与えることになりました。

1866年に帰国した五代 友厚さんは、御小納戸奉公格に昇進し薩摩藩の商事を一手に握る会計係になりました。

長崎のグラバーと合弁で長崎小菅にドックを開設するなど実業家の手腕を発揮し始めます。ここでいうドックというのは俗にそろばんドックと呼ばれるもので現存しています。

日本最古の蒸気機関を動力とする曳揚げ装置を整備した洋式スリップ・ドッグが小菅修船場です。
船をボイラー型蒸気機関の力で曳き揚げるために設置されたレール上の船を載せる台(船架、現存しない)がそろばん状に見えたため、通称「ソロバンドック」の名で親しまれています。

出典:長崎旅ネット

 

1868年、戊辰戦争が勃発し五代友厚さんは西郷隆盛さんらとともに倒幕に活躍しました。

坂本龍馬との関係は?

出典:天外者公式

映画では、坂本龍馬を三浦翔平さんが演じます。

坂本龍馬さんが土佐藩を脱藩し、 長崎で五代友厚さんと出会います。

海外貿易などの夢を語り合う関係に。

坂本龍馬さんは、 五代友厚さんのの力を借りて、薩長連合を進めることができました。

外務省の役人で造幣局をつくった!

五代友厚さんは倒幕に活躍した結果、明治新政府の参与職外国事務掛となります。

参与職外国事務掛は、今でいえば外務省です。

外国官権判事、大阪府権判事兼任として大阪に赴任しました。

大阪に造幣寮(現・造幣局)をつくりました。

初代大阪税関長となり、大阪税関史の幕開となりました。

大坂をマンチェスターに!大阪に!

イギリスでマンチェスターを見た五代友厚さんは、同じものを日本に作りたいと「都市構想」を思いつきます。

経済的に最悪になっていた大坂を、民の力で何とかしようと考えました。

まず手掛けたのは、鉱山事業、造船事業。

それで得た力を大阪の地に還元するということを始めました。

さらに五代友厚さんは、大阪製鋼、関西貿易、大阪商船、阪堺鉄道、神戸桟橋などといった数多くの会社を次々とプロデュースしていきました。

ひとびとの心を一新させるため、「大坂」という字を

「大阪」

に改めました。

出典:事業構想

大阪証券取引所ビルには、五代友厚像があります。

五代友厚役は三浦春馬「そのものだった」!

 

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田中光敏監督の三浦春馬さんへの言葉です。

田中監督は「春馬君、参加してくれてありがとう」と感謝。「ただただ残念なのは春馬君に出来上がった作品を見てもらえなかったことです」と悔やんだ。

出典:ヤフーニュース

田中光敏監督はこの映画を作ろうと思った時、五代友厚役は三浦春馬さんだけしか思い浮かばなかったといいます。

三浦翔平さんは、下のようにコメントしています。

「春馬と何度も読み合わせをして、関係性を築き上げ、自分なりの新しい豪快な龍馬を思いっきり演じることができました」

三浦春馬さん自身、オファーを受けてから歴史についてかなり勉強したようです。

今はまだ予告だけしか見られませんが、画面の中で三浦春馬さんは生き生きと五代友厚を演じていました。

 

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妻の豊子役を演じた蓮佛美佐子さんは

「彼の強さや真っすぐすぎるほどの瞳を妻豊子として受け止め、心を交わしました。作品の中にいる春馬君は五代友厚そのもの」

とたたえたということです。


ネットの評判

五代友厚はどんな人?三浦春馬が「そのものだった」と話題!まとめ

五代友厚さんの名前は、友情に厚いと書きます。

名前の通り五代友厚さんは、交友関係が広く、人の話をよく聞き、苦難にあった時には必ず誰かに助けてもらえた印象で、人とのつながりで、なすべきことをなしえた人と言ってもいいかもしれません。

映画を見る際は、三浦春馬さんという俳優の背景は忘れて五代友厚さんを見てみたいとい思いました。

最後までお読みいただき

ありがとうございました。