バイデン氏は、2009年から2017年までアメリカの副大統領でした。
2020年11月に行われる大統領選挙では、
トランプ大統領との一騎打ち。
現在では、バイデン氏が優勢との情報です。
けれども、優勢なバイデン氏にもスキャンダルが!
トランプさん自身も女性から告発されていましたが、バイデン氏もまけていません。
なにやら女性が絡むスキャンダルと息子の不正の疑惑。
疑われる要素はたくさんありそうです。
これらは真実なのか、嘘なのか?
今わかっていることをまとめてみました。
Contents
バイデン氏スキャンダル!性的暴行!?

出典:Wikipedia
性的暴行の被害者は誰?
被害者は、90年代バイデンさんの事務所のスタッフだった
タラ・リードさん。
何があったのでしょうか?
朝日新聞によると↓
米議会の建物内でバイデン氏から壁に押しつけられ、陰部を触られたという。
バイデン氏自身はもちろん全否定しています。
バイデン氏に有利な点として、
タラ・リードさんの主張が時により変化している。
20年以上も前のこと
があるのですが、逆に不利な点もあります。
1993年CNNのテレビ番組に、リードさんの母親が匿名で出演。
「娘がある問題で上院議員の事務所をやめた。」
と相談していました。
リードさんはこの女性が母であり、問題とは性的暴行のことだと言っています。
また、バイデンさん自身の発言が苦しめています。
2018年に
「このような状況で名乗り出た女性は、真実を話しているという前提に立つべきだ。」
と発言しています。
民主党がトランプ氏の「女性蔑視」の言動を批判し、セクハラや性被害を許さない「#MeToo」の運動を支持してきたための発言ですが、リードさんの言うことは真実だと言っているようなものです。
その時はまさか自分が告発される立場になろうとは思わなかったことでしょう。
大統領選は、女性票をとった方が勝つという見方もされています。
バイデン氏は「当選したら、女性を副大統領にする。」と断言されているようですが、賢い女性たちはどう判断するのでしょうか。
トランプさんにもこの手のスキャンダルはあるため、このスキャンダルはどっちもどっち・・・なのかもしれません。
バイデン氏スキャンダル!息子の不正!?

出典:日本経済新聞
問題となっている息子さんがこちら
ハンターバイデンさんです。↓

職業は弁護士、実業家です。
賢い人なのですね。
けれども、調べてみるとウクライナの疑惑以外にもスキャンダルがありました。
2013年薬物検査でコカインの陽性反応となり、米海軍予備役を除隊処分を受けていました。
ウクライナの疑惑
では、ウクライナの疑惑とは?
ハンターバイデンさんは、、2014年から2019年まで、ウクライナの天然ガス会社であるブリスマ・ホールディングスの取締役を務めました。
2019年、ドナルド・トランプ大統領は、ウクライナの大統領との電話会談の中で、バイデン親子のウクライナにおける活動について捜査するよう促したといいます。
後に、この要請が明るみになるとナンシー・ペロシ下院議長らは反発、大統領が国の安全保障を脅かし大統領宣誓と憲法に違反していると批判、大統領の弾劾手続きに向けた調査の契機となりました。
しかし、当該企業の役員就任について2019年10月15日に放送されたABCニュースとのインタビューで、ハンターさんは
「今思えば、まずい判断だった」と発言しました。
私が(ビジネスで)不適切なことをしたかと言えばそんなことはありえない」と強調した。一方で「倫理的でない人が違法な手段で私の父親に悪影響を及ぼすきっかけをつくってしまった。その点で私に落ち度があった」と語った。
出典:経済新聞
私は悪いことはしていないが、父親の足を引っぱる形になってしまって、それは悪かった。と言っているわけですよね。
なんだか微妙な感じです。
正当であったなら、こんな言い方はしない気もしますが・・・
中国での疑惑
バイデン氏は、2013年12月、中国で投資会社を設立しようとしていたハンターさんと共に中国を訪れました。
トランプさんは15億ドル(約1600億円)が中国からハンター氏に流れ、賄賂に当たると主張しています。
15億ドルという数字は、投資ファンドが14年に集めようとした額として当時報じられていますが、ハンターさんが何らかの利益を得た証拠はありません。
トランプさんとしては、ウクライナ疑惑から話題をそらしたいという意図があったのかもしれません。
これも疑惑で終わってます。
バイデン氏の経歴

出典:毎日新聞
ジョセフ・ロビネット・“ジョー”・バイデン・ジュニア
1942年11月20日生まれ
もともとは裕福な家庭でしたが、父親の事業の失敗などから祖父宅で暮らすなど苦労のあった幼少期だったようです。
カトリック系の私立学校、アーキメア・アカデミーへ入学
フットボールと野球に熱中し、フットボールではかなり活躍したようです。
バイデンさんは学業では平凡な成績でしたが、他の分野でリーダーシップは発揮されていたということです。
バイデンさんは、ニューアークにあるデラウェア大学に進学しました。
ここでも成績は振るわなかったようです。
シラキューズ大学のロースクールに進学。
1969年にはデラウェア州弁護士会へ加入し、ウィルミントンで弁護士として開業しました。
バイデンさんは幼少期から吃音に苦しんでいて、その年月は20年以上。
吃音に悩みながら、弁護士を志すのは大変な努力をしたのでしょうね。
また、近親者の中にアルコール中毒の人がいたことから、バイデンさん自身は禁酒家なのだそうです。
政治活動
ニューキャッスル郡の郡議会議員に選ばれたことからバイデンさんの政治活動ははじまりました。
1972年の上院議員選挙に民主党から出馬し、勝利しました。
順調に見えたバイデンさんの政治家としての行方に危機がまっていました。
政治生命の危機①
1972年12月18日、妻のネイリアさんはクリスマスの買い物をするために、3人の子供たちを連れてデラウェア州ホケッシンに車で出かけていましたが、ネイリアさんの運転するステーションワゴンが、交差点でトレーラーに追突され、ネイリアさんとまだ幼かったナオミさんが死亡という悲劇におそわれました。
バイデンさんは、一度は息子たちの看病・世話を理由に議員職を辞退しようとしましたが、当時民主党の上院院内総務であったマイケル・マンスフィールドから辞退を思い留まるよう説得を受け、議員に就任することを決め、
1973年1月 議員活動を開始しました。
議員になるとワシントンD.C.に居住する議員が多い中で、バイデンさんは息子たちのために、毎日片道1時間半かけてウィルミントン郊外の自宅とワシントンD.C.を電車通勤したということです。
家族を大切にする、優しい人ですね。
1977年に2人目の妻ジル・トレイシー・ジェイコブスと結婚し、1女(アシュリー)をもうけています。
政治生命の危機②
45歳の時、バイデンさんは首の痛みに悩まされた末にウォルター・リード陸軍病院に入院し、手術を受けました。
原因は脳動脈瘤の破裂でした。
この時バイデンさんは一時危篤状態に陥っています。
同年5月には2度目の脳動脈瘤の手術を受けるなど、バイデンさんはもはや議員活動の継続も危ぶまれていました。
しかし、バイデンさんは懸命のリハビリを続け、入院からわずか7ヶ月で復帰しました。
2008年アメリカ合衆国大統領選挙では、バイデンさん自身は出馬するも撤退していますが、
民主党バラク・オバマ候補の副大統領候補に指名され、これを受け副大統領になりました。

出典:Wikipedia
2020年の大統領選の結果が待たれます。
バイデン氏スキャンダル!性的暴行と息子の不正!?経歴まとめ
バイデンさんはスキャンダルを何かと報じられていますが、人間的には家族思いで優しく、まじめな人という印象です。
スキャンダルの真偽については、本人が認めていないので疑惑というところでしょうか。
証拠という証拠もなく、大統領選のマイナス要因にはならないような気がします。
どちらにしても2020年11月の大統領選が気になるところです。
最後までおつきあいいただき
ありがとうございました。