星出彰彦さんが、新型宇宙船クルードラゴンの宇宙飛行士に選ばれました。
日本人で2番目の快挙だということです。
宇宙飛行士になるためには、成績優秀、運動神経抜群で健康であること、おまけに性格もいいというエリート中のエリートという印象があります。
今回、注目されている星出彰彦さんも例外ではなさそうです。
星出彰彦さんについて語るのに一番注目なのは、慶應義塾大学卒でもなく、ラガーマンだったという点ではないでしょうか?
元ラガーマンの宇宙飛行士 星出彰彦さんの魅力をまとめてみました。
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星出彰彦は元ラガーマン!
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星出彰彦さんは、東京都出身。
1968年生まれです。
JIJI.COMの記事によると、↓のようになっています。
高校、大学とラグビーに打ち込んだ星出さん。ポジションはスクラムハーフだった。
出典:JIJI.COM
けれども、星出彰彦さんの中学、高校時代は、水泳部という情報がありました。
いつラグビーに出会ったのでしょうか。
高校時代の星出彰彦さんについての情報を集めてみると、〇〇高校出身ですと単純にはかけないところがありました。
星出彰彦の学歴がすごい!
星出彰彦さんが宇宙飛行士の夢を持ち始めたのは、4歳。
その頃、アメリカに住んでいました。
4歳の星出彰彦さんはスミソニアン博物館に遊びに行って、宇宙飛行士の夢をもちました。
スミソニアン博物館とは?
「国会議事堂」から「ワシントン記念塔」の広場の両側に、たくさんの
科学、産業、技術、自然史の博物館、美術館が並んでいる場所。
スミソニアン博物館の中に、国立航空宇宙博物館というのがありました。
スミソニアン博物館の中でも特に人気だという国立航空宇宙博物館。
おそらく、いやきっと星出彰彦さんはこの国立航空宇宙博物館を見学したにちがいありません。
小学校は、世田谷区立二子玉川小学校を卒業しました。
茗溪学園の中学校、高校に進んだ星出彰彦さんですが、茗溪(めいけい)学園の特色がまた素晴らしいです。↓は公式サイトより引用しています。
茗溪学園では特色ある行事や学習に力を入れています。それは、時に過酷で厳しい体験を通して、生徒たちに自立した精神とたくましい実行力を身につ け、大きく成長してほしいと願っているからにほかなりません。
他の特色として、国際教育に力を入れている学校でした。
宇宙飛行士を意識しての学校選択でしょうね。
そして、茗溪学園を高校2年生で自主退学の形をとり、UWC(ユナイテッド・ワールド・カレッジ)へ留学します。
UWCを卒業し、国際バカロレア資格の後期中等教育課程修了が適用され
1988年、慶應義塾大学理工学部機械工学科へと進み、流体力学を研究していました。
ラグビーを始めたのはいつ?
星出彰彦さんが入った茗溪学園は、授業や行事でラグビーを取り入れていることからラグビーとの出会いは茗溪学園だったと思われます。
中学でラグビーを経験したようですが、本格的に打ち込んだのはシンガポールでの留学中でした。
大学でもラグビー部に入り、勉強よりもラグビーに打ち込んでいたといいます。
自己犠牲の精神というか、「ONE FOR ALL、ALL FOR ONE」とよく言いますけど、身を挺(てい)して相手を止めるとか、味方のためにボールを回すとか、そういったところに魅力を感じる
出典:JIJI.COM
星出彰彦さんは、ラグビーと宇宙飛行士の共通する部分を↑のように語っています。
小さい頃宇宙飛行士になりたかった星出彰彦さんが、ラグビーに夢中になった意味がわかりますね。
星出彰彦は2回目の留学でどこへ行ったの?
、
星出彰彦さんは1992年宇宙開発事業団(NASDA、現JAXA)に就職しました。
そして、宇宙工学を勉強するため、アメリカのヒューストン大学の大学院に留学しました。
仕事をしながらの勉強だったので大変なご苦労だったようですが、ここで得た人脈と経験がその後の星出彰彦さんの支えになったようです。
1997年、航空宇宙工学修士課程を修了しました。
1999年日本人宇宙飛行士の応募者864名の中から候補者として採用されました。
宇宙飛行士に3回挑戦!
星出彰彦さんの宇宙飛行士にはじめて挑戦したのは、大学4年生の時。
NASDAまで足を運び受験申し込みを試みるも「大学卒業資格」「要実務経験」という受験資格を満たさなかったためあきらめるしかありませんでした。
2回目はNASDAに勤めているとき。
この時は、最終試験まで進んだものの選ばれることはありませんでした。
この時にアメリカ留学の必要性を感じたといいます。
星出彰彦さん自身は、3回目の合格の理由を仕事やアメリカ留学で苦労を重ね、総合力が上がったのではないかと考えているようです。
1度目の挑戦の行動力に驚きますし、
確実にステップアップしているところも流石ですが、2度目であきらめなかったことが何よりも凄いと思います。
星出彰彦は元ラガーマン!2回の留学はどこへ行ったの?まとめ
星出彰彦さんは、サインをするときに「夢の実現」と書き加えるということです。
4歳で見つけた宇宙飛行士という夢。
夢中になったラグビーもそれに向かってのアクセルだったような気がします。
夢を見つけてそれに向かっていける星出彰彦さんは、努力の人なのですが、それ以上に幸せな人に見えるのは私だけではないかもしれません。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。